(http://daigakuin.soka.ac.jp/assets/files/pdf/major/kiyou/22_syakai3.pdfより引用)しかし、やはりヴォランドは悪魔であることに変わりはないのである。レビ・マタイがヴォランドに、巨匠だけでなく、マルガリータも一緒に連れて行ってほしいと願うと、彼は「お前がいなかったら、私たちはそのことについて決して気付かなかっただろう。[376]」と答えている。安らぎを与えるべきだと考えた相手はピラトの小説を書いた巨匠だけであって、マルガリータのことに関しては一切お構いなしという様子が見て取れる。つまり、先ほどの友好的でロマンチストとしての発言は全て、客観的意見であって、ヴォランドは本質的には自分とは関わりのないことに対しては無関心なのだと言うことが出来るのである。
いや、出来ない。
むしろ 「お前(レビのマタイ)がいなかったら、私たち(ヴォランドたち=悪魔たち)はそのことについて決して気付かなかっただろう。失せろ」 というヴォランドの言葉は、より(巨匠とマルガリータに対して)友好的でロマンチックな態が極まったとさえ言えるだろう。
この論文を書いた方は、引用しなかった末尾の「失せろ」 に注目すべきだった。
ところで、マタイの"懇願"は、舞踏会を終えた直後のマルガリータの態度とは対照的だ。
悪魔の舞踏会の女主人として参加させられ、今や絶望の発作の中にいるマルガリータに、悪魔は「何か言い残したことはないか?」と尋ねる。
「いいえ、何もございません、閣下」とマルガリータは誇らしげに答えた。「ただ一言、言わせて頂くなら、私がお役に立てるようでしたら、なんなりと喜んで致します、私はちっとも疲れてはいませんし、舞踏会はとても楽しいものでした。ですから、舞踏会がまだ続くようでしたら、私は喜んで、何千という絞首刑者や殺人者たちに口づけさせるために、自分の膝を差し出したいと思います」マルガリータはヴォランドを見つめたが、目に涙が溢れてきて、相手の顔がかすんで見えた 。
「その通り! まったくその通りだ!」よく響く恐ろしい声でヴォランドは叫んだ。「よくぞ言ってくれた!」(「巨匠とマルガリータ」郁朋者 ミハイル・ブルガーコフ 中田恭訳)
「よくぞ言ってくれた!」 木霊のようにヴォランドの従者たちが繰り返した。
「我々はあなたを試してみたのですよ」とヴォランドは続けた。「決して何も他人に頼んだりしてはいけません。・・・(中略)・・・坐りなさい、誇り高い女よ」
こうしてマルガリータの望みは細大漏らすことなくすべて叶えられ、すべて首尾よく運ばれる。
ここまで、マルガリータは知的で、愛に燃える女性として描かれていた。
また若さと美貌を得た喜びで舞い上がり、憎しみから衝動的な破壊をしてみたりと、非常に、非常に人間らしく描かれていた。
それでも、悪魔たちの手によって無惨な目に合う市民たちとマルガリータは決定的に違っている。
当然、彼女にも確たる願い事がある(もちろん巨匠の救出だ)。しかしながら、悪魔たちあるいは自分自身の欲望に屈しようとはしない。
ここには人間としての誇りがある。
そして、彼女には巨匠への一途な(…屈折した…)愛がある。
悪魔たちはマルガリータを試した。さながら旧約聖書の厳格な神のようだ。そう言われればそう思えないこともないだろう、なぜなら作品中で語られる悪魔たちは、読者の目には神の似姿にすら映るのだから。
「お前がいなかったら、私たちはそのことについて決して気付かなかっただろう。失せろ。」
ヴォランドが「失せろ」と言ったのは、招かざる客が愚かだったからではない、影が光を眩しがったからでもない、安らぎに値した巨匠たちを哀れんだからでもない。
マタイは物語の終わりに、誇りを捨てて原稿を汚したのだ。