2012/12/15

チッソとは私であったについて2018/1/28編集


「チッソってどなたさんですか」と尋ねても、決して「私がチッソです」と言う人はいないし、国を訪ねて行っても「私が国です」という人はいないわけです。(40頁)

システムは 誰か を 幸せに しない。


先日は、経営哲学者のアインバールハイト先生とお会いした際に
「社会と闘争することをやめた人物を、先生はご存知ですか」
とお尋ねしたところ
「今のところ1人しか思い当たりません、その人のことは本を読んで知りました」
とお答えを頂きました。


そこで紹介された本を読んでみました。




『チッソは私であった』緒方正人(葦書房)





『チッソとは私であった』

このタイトル、一見すると「私」はチッソの関係者なのだろうか? とお思いになるのではないでしょうか。


その真逆です。






なぜ「私」はチッソなのか、そのことは次のように説明される。

それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの「人間の責任」が問われる水俣病への どんでん返しが起きた。そのとき初めて、「私もまたもう一人のチッソであった」ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から 解き放たれた瞬間でもあった。(8頁)

これだけでは「私もまたもう一人のチッソであった」と聞いても、やや分かりにくいだろう。緒方正人とは如何なる人物なのか。

  • 1953年—水俣病患者として認定される方々が発症し始めた年—に漁村の網元の末っ子として生まれた。兄弟が20人、父親との年の差は51。父親とは祖父と孫のような関係で、父親から非常にかわいがられていた。
  • 物心がついた時に目の前の海で魚の群れが死んで浮いているのを目の当たりにする、その後に猫が狂って死ぬ、小学生にあがる前に網元だった父親も狂って死ぬ。
  • 一時家出をし右翼系の活動に関わるが、地元へ帰り漁師として生活を開始。
  • 以降、水俣病患者の未認定運動に身を投じる。
  • しかし、1985年、一転して病人としての認定補償を取り下げ、生活の基本を漁民に戻す。
  • 現在でも、ご自身には手足の痺れや頭痛が残っている。

このように加害者側のチッソとは真逆の立場におかれた、言わば被害者側の人間だった。単なる被害者に留まらず、訴訟や運動の中心人物ですらあった。なぜ、そのような人物が、自ら運動から退き、補償を取り下げ、「チッソとは私であった」と言うに至ったのだろうか。

私は小さいときから親父をチッソに殺されたとずいぶん深く恨んでいました。(39頁)
いつか、自分が大きくなったら仇を討とうとずっと思ってきました。小学校の高学年になり、中学生になり、だんだん、だんだん、チッソを恨む気持ちが強くなっていくなかで、二十歳のときに水俣病の認定申請をしている患者達の運動に参加した訳です。(39頁)

子どものうちに親を殺された経験を持つ、その恨みは計り知れない。なおかつ、工場がなければ怒らなかった殺人だ。チッソの工場をダイナマイトで爆破してやろうと考えたこともあると言う。恨み、憎しみ、苦悩、様々な感情が渦巻く中、患者達の運動に参加してゆく。

ますます「チッソとは私であった」という謎が深まる。

言葉にすればたったの三文字の水俣病に、人は恐れおののき、逃げ隠れし、狂わされて引き裂かれ、底知れぬ深い人間苦を味わうことになっ た。そこには、加害者と被害者のみならず、「人間とその社会総体の本質があますところなく暴露された」と考えている。つまり「人間とは何か」という存在の 根本、その意味を問いとして突きつけてきたのである。(8頁)

人間とは何か?
ならば、チッソとは何か?

私自身、その問いに打ちのめされて85年に狂ったのである。それは、「責任主体としての人間が、チッソにも政治、行政、社会のどこにもない」ということであった。そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。(8頁)

システムとしてのチッソ、システムとしての政治、システムとしての行政、システムとしての社会には、責任主体の人間がいない。一方で病人はそうはいかない。

すでに成人していた兄や姉と違って、私は幼児期に、あまりにも異様な親父の姿を見てしまって受け止めようがなくて、チッソという会社を見たこともなく、そして金の値打ちもほとんど知らない。そこから自分の水俣病が始まっていく。ですから、私自身の「固有の水俣病」という捉え方があるように思います。これは決して私だけではなくて、それぞれの患者、被害者に「固有の水俣病」があると思います。(16頁)
一人ひとり固有の人間苦があった。水俣病事件史は確かに大きな流れとしては一つですけれども、私は「固有の水俣病」がそれぞれの人生に深く食い込んでいると感じています。 (17頁)

一人ひとり固有の"苦しみ"がある。マクロなシステムはそれを画一化し一般化し、ミクロな苦しみをマクロな苦しみの一つとして変換する。このことは、ますます「この私」を"苦しめ"る契機ともなり得るだろう。
果たして、和解とは、補償とは、個別対応とは如何なるものか、それは「一般化された個人」への対応に他ならない、とんでもない話だ。社長や会社役員は表舞台から消え、末端社員や役所の窓口が対応先になる。納得がいかないのも当然だ、そこに「人間」がいないからだ。求められていたのは必要とされていたのは、単独な「この私」への対応ではないだろうか。

そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。それは更に転じて、「私という存在の理由、絶対的根拠のなさ」を暴露したのである。立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか、というかつてない逆転の戦慄に、私は奈落の底に突き落とされるような衝撃を覚え狂った。(8頁)

なぜ立場が逆転するのか、なぜ被害者である「私」がチッソなのか、理解するのは容易ではない。そこに至る為には「立場を入れ替える」必要がある。いや、そんな生半可なことではないだろう、そこに至る為には立場を入れ替えた上で、更に「狂う」必要があった。

儲かって儲かって仕方がない時代に、自分がチッソの一労働者あるいは幹部であったとしたらと考えてみると、同じことをしなかったとは言い切れない。そうした自分を初めて突きつけられた訳です。(43頁)
今まで被害者、患者、家族というところからしか見ていないわけですね。立場を逆転して、自分が加害者側にいたらどうしただろうかと考えることは今までなかったことでした。(43頁)
 責任を追及している間は恐ろしくないんですね。攻めるだけだから。ところが、逆転を想像するだけで、立場がぐらぐらとするわけです。それまでの前提が崩れるわけですから。(44頁)
絶対同じことをしていないと言う根拠がない。そこに晒されると狂いに狂って、これはもう一人の自分をそこに見るわけですね。ですから そういう意味では十年前から、チッソというのはもう一人の自分だったと思っているわけです。(44頁)
 これまで自分がもっていたものががらがらと崩れていき、自分が分からなくなっていたようです。(47頁)

「狂う」つまり、あらゆる常識的な言説の自明性を疑い、すべて経験的に前提としてきた観念を括弧にいれ、そのような臆見を成り立たせる条件を根底から吟味することである。
これは最早、相手の気持ちを考える、客観的に物事を判断する、といった次元の話ではない。それは文字通り、自分がもっていたものががらがらと崩れていく、のだ。
チッソの責任を追及している自分とは何者なのか、疑いに疑って狂いに狂うこと、加害者、被害者という事件の立場を超えていくこと、それまでの共同体から越境すること、あらゆる常識的な言説の自明性から解き放たれること、そこで見られる「自分」は最早「自分」ではいられない。
「狂う」こと、それを坂口安吾は「堕落」と呼び、マルクスは「命がけの跳躍」と呼び、イエスは「汝の敵をも愛せ」と隣人愛を説き、ソクラテスは…、釈迦は…。


「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は私たち自身である、狂いながら身悶えしながら、可能世界に生きる自分を認め、事実と向き合い、狂った末に、遂にかく語られるのだった。

一体この自分とは何者か。どこから来てどこへゆくのか、である。それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの「人間の責任」が問われる水俣病への どんでん返しが起きた。そのとき初めて、「私もまたもう一人のチッソであった」ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から 解き放たれた瞬間でもあった。(8頁)

闘争は闘争を生み、闘争は闘争を強化する。
先日、経営哲学者アインバールハイト先生は仰った。
「原子力発電反対運動も、結局は原子力発電推進派を強めちゃうことになっちゃんですよね」

チッソの責任とは、チッソの社長の責任とは、チッソの役員の責任とは、熊本県の責任とは、それは、豊かさを望んだ、近代化を望んだ、人間の責任でもあった。

どんでん返しがおき、狂い、「私もまたもう一人のチッソであった」と自らに認めた時、
この自分とは何者なのか、という根本的かつ実践的な問いが生まれる。ゴーギャンよろしくわれわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか。

水俣病事件史の中で亡くなった人、あるいは魚、猫、鳥、傷つき倒れ殺されていったそういう命の問いかけていることは、亡くなった人の救いということだけではなくて、実は生きている私たちにかけられた願いだと思うわけです。そして水俣病事件が私に問いかけていることは、決して制度化されない魂のゆくえ、そこにどう自らが歩みにいくのかということだろうと思っています。(70頁)

「和解」「補償金」というシステムの中では、亡くなったものの魂も、生きている者の魂も、誰の魂も救済されないだろう。

今までなかなか言えなかったというか、よっぽどの人にしか言えなかったんですが、チッソの人たちをいとおしくさえ思う、罪とか責任というものを共に負いたい、あんたたちばっかり責めんばい。私も背負うという気持ちになったんです。で、「焼酎どん飲もい」、ということなんです。
そう思えるようになってからが自分では非常に楽になりました。それ以前はやっぱり、チッソといっても結局人を恨んでたんですから。人を恨み憎んでいる時はよか顔ばしとらんですね。(73頁)

恨みの境界線上に立ち、現在でも恨んでいるかもしれない、それは紙一重だった。
しかし、生きるという意味を考えた時に、「私」はチッソだった、「私」と同様にチッソもいとおしくなる、さあ焼酎でも振る舞って、一緒に責任を背負おう…。

(※しかし、川口はあらゆる飲みニケーションと呼ばれる全てが苦手なので焼酎云々の話はわからない。至極残念。ウーロン茶でよろしければ朝まで付き合います。)

私は、この現代社会を象徴する縮図として水俣病事件をその中心軸に位置づけながらも、時代の本質を一生懸命に見据えようとしてきた。そこで見たものは、今やすべての命が根付けされた商品となり、市場に組み込まれたシステム社会であった。(9頁)

全ての命が根付けされた商品、時給とはとんでもないシステムだ、つまりこれはマルクスの疎外論に基づく人間疎外 (Entfremdung)、このことを語りはじめるのであれば人間の物象化(Versachlichung)・・・・・・なんていっていると、これまた男くさ〜い哲学討議が始まりそうだ。

かといって魂がどうした・・・・・ ・なんて書きはじめると、「お、ついに宗教に走ったのか」なんて言われかねないし、このへんでやーめよ。





ただね、最後にこれだけ書いとこうかな。


ぼくは、アインバールハイト先生から緒方正人を、闘争から逃れた人物として紹介して頂いた。しかしながら、ぼくは闘争から逃れた人物として捉えることが出来なかった。
真の闘争、真の蜂起とは、このようなことを指すのではないか。
バカな、こんなもの、ただの思考停止に過ぎない。と言うのは、あさましい評価だ。
苦悩を味わい尽くした上でも尚、"システム"を「許した」 姿勢を剣呑にも見過ごしている。(「今、チッソに対してほとんど恨みをもっていません。」70頁)


ところで2011年3月11日以降、ぼく(たち)は何をしただろうか。
ぼく(たち)は蜂起も、「蜂起」もしていないのではないか。
津波で流された、或は流されなかった魂のゆくえは、システムに組み込まれていくのでは余りにも虚しすぎる。


「チッソとは私であった」
チッソ:某電力会社:私≒熊本県:某国家:私
として読みながら、その類似性に辟易しつつ、水銀で汚れた海岸を埋め立てること/発電に使い終わった放射性廃棄物を埋めようとすることの紙一重すらもない差に頭痛さえ催し、嘆息が耐えない日々が続いてゆく・・・

と、ウンザリしてばかりもいられない。



今回の選挙はどうしようか。

クリスマスを待たずして、服を着替えて「選挙にいこうぜ」と誰かをデートに誘おうか。




選挙というシステムも、やはり誰かを幸せにしないだろう。
それでも 顔のない街の中で 、見知らぬ人を見知りたいものだ。

緒方正人氏インタビュー:http://www.southwave.co.jp/swave/6_env/ogata/ogata02.htm

2012/11/13

女子学生と渡辺京二について



「本に学ぶは3流、人に学ぶは2流、自然に学ぶは1流」と何処かで聞いた覚えがある。
本を読んで、ふむふむ頷いて3歩歩いて、コロッと忘れている僕は、さしずめ4流といったところだろうか。



僕には先生がいる。
いや、正確にはあまり会ったことがないから先生であるかどうか、わからない。
どういう関係かと言うと、熱心に指示もされないし、熱心な師事もしていないという関係だ。
とにかく、先生と呼んだり、呼ばなかったり、まぁ、そんな人がいるのだが。
矢張り「人に学ぶは2流」ってのも有耶無耶になっていて、僕が4流であることに変わりはない。


ところで「どうやって本を選んでいるのか」と聞かれることがある。
僕の部屋にある本は、大抵の場合、鶴の一声で決まっている。
前述の先生が「川口くん、このへん読んでみたら」と、やんわり仰るので、やんわり読む、やんわり忘れるから「読みましたよーいやーおもしろかった/むずかしかったですー」やんわりコメントをする。


時に、先生に紹介された本を、すぐには読まないことがある。
しかし後になって思い出して、読まなかった本を求めてみると「なんでまたすぐに読まなかったんだ!」と吃驚仰天するやら茫然自失とするやら業腹煮やすやらで忙しい。
だから本については、いつ頃からか、手に取った時が絶妙のタイミングなのだ、と信じて疑わないことに決めた。





この「女子学生、渡辺京二に会いにいく」(亜紀書房)も、先生に紹介された本だ。
おそらく半年以上前のことだったと思う。



津田塾大学の学生が渡辺京二を囲んで、卒業論文についての座談会、のようなものを記録がされている。
「子育て」を卒論のテーマに選んだ女学生に、渡辺京二はこう答える。

結局〔子育ては(引用者註)〕は、今の人間が自分の生涯と言うもの、あるいは自分の一生をどのようなものとして納得していくのかという問題に関わってきますね、問題がずっと広がってきますね。(p38)
自分の持っている才能なりを発揮して、非常に個性的な一生を生きようと思っている人にとっては、子どもはだいたい邪魔になるんです。(p38-39)

夫婦は合わせ物だが、親子は合わせ物ではない。男性にも女性にも、子どもに対する潜在的な愛情や母性が存在する。しかし愛情や母性が発現するには必要な条件と環境が整えられていなくてはならない。

現代は、子育ての出来る環境が、整えられていないように、母性が発現するために必要な条件と環境も、整えられていないのだ。

いわば、現代というのはすべての人間が表現をしなくちゃ納得出来ないという時代になってきているんでね、そのむずかしさでしょうね。(p39)
私にはしたいことがある、自分の可能性をもっと発揮したい、あるいはキャリアウーマンの生涯をたどりたい、そういう自己実現の仕方について非常に思い違いがあるのではないか。そういう考えを助長するような社会の風潮がある訳でしょう。(p44)
たとえば女性も子育てをしてせっかくのキャリアを途中で辞めたくないと言う。辞めんでいいじゃないですか。でも僕は役所に入ったら、絶対出世したくはないですよ。出世したって何がいいのか。自分の部下が増えるだけのことでしょう。自分の責任が増えるだけのことでしょう。給料さえもらえばいいんで、役職がついたって、そこでの給料の差がなんぼありますか。たいした差はありゃしませんよ。責任の少ない楽なところにいて、そして自分の好きなやりたいことをやるのがいいです。ところが今は役所にいたら、上の方にどんどんキャリアを積んであがっていかなきゃいけないなどと言う。(p44)


ところで、僕は「バリバリ」と言う言葉を、女性から何度も聞かされている。


象徴的に覚えているうちの1度目は、僕が女性を取っ替え引っ替えして泣かしていた頃。
当時、1番長く付き合っていた人が目を輝かせながら言った。
「実は、将来バリバリ働きたいと思ってるんだ。カッコいいキャリアウーマンみたいな。」と。
彼女は、どちらかと言うとおっとりとしている子で、生存競争に巻き込まれると真っ先に捕食される草食動物のような子だった。(だから僕なんかに捕sh)


2度目は、僕が未だ真面目な就活生だった頃。
当時、知り合った沢山の女の子が言っていた。
「私はバリバリ働きたいと思ってます」と。
彼女達の多くは、大企業志向・海外志向が強く、とにかく大きな仕事がしたいと言っていた。まるでスイッチが入って感情的になったときの自分の父親と話をしているようでクラッとしつつも、「どうして?」と聞く。
すると彼女達は「女だからってナメられたくない」「出来るってことを認められたい」「チャンスがある時代だから」と十人十色ならぬ、十人とも大体同じ色をしていた。
彼女達が、オフィシャルな場で「バリバリ」と言っていないことを願う。


3度目は、僕が労働に明け暮れていた今年の夏。
「いまはバリバリ働けていて、とっても充実してるけど、時々不安になる」と。
彼女は学生時代から、やりたいことがハッキリしていたそうだ。


彼女達は、なぜ「バリバリ」に憧れ、求め、果てには焦慮するのだろうか。
バリバリ働く(きたい)って一体なんなのだろう。



渡辺京二は、自己実現という欺瞞を見抜く。
自己実現という言葉について、僕が非常に不信感を持つのは最初から自己と言うのは実現されているんだよ、ということもありますが、もう一つは、自己実現というのは、なんのことはない、出世しなさい、と言っているからですね。(p237)
たとえば国際舞台に出て行く人間になりなさい、 とかいうことなんです。アタッシュケースを持って飛行機から飛行機に乗り継いで、スケジュール表にはびっしりと仕事が詰まっているというのが、これが人間としての生き甲斐だというわけなんです。(p237)

「自己実現にしなきゃ」と焦る必要はない。
なぜなら、自己は、既に実現されているからだ。

顔一つとってみても、似た人間はいるけど、まったく同じようなクローン人間はいやしない。性質もそう。似たような性質の人間はいる。だけど、全く同じと言う人はいない。全部違う。だいたい人類誕生以来どれだけの人間が生まれてきたと思う? まったく同じ人間が1人もいなかったと言うのは、これはすごい事実ですね。それが個性ですね。個というもの、自分というものですね。(p234)  
 実は人間はオギャアと生まれたときに門出に立っている訳ね。(p218)

岡本太郎も瀬戸内寂聴も、人間は生まれたときから孤独だ、と言っていたような。
とにかく、生まれたときから、孤独な上に、自己は実現しているらしい。

ところで「バリバリ働きたい」と言う人は、口を揃えて「人のために役に立ちたい」と言う。
これは学校の先生たちが「社会の役に立ちなさい」と教えるからだ。

社会のために役に立ちなさいなんて、いらんことです。社会のためになんか役立たんでよろしゅうございます。だいたいこの人間の歴史に、いろんな災いをもたらしたやつは、社会に役立ってやろうと思ったやつが引き起こしてきた訳でございます(p228)

就職難で就職が決まらない青年は「自分は社会から必要とされていない人間だ」と悲観する。これは自死を予感させる発言である。
しかしながら、就職できないのは経済の問題であり、社会から必要とされないこととは別箇の問題である。
何よりも、必要とされていない、そのことをどうして自分で決められるというのか。

そもそも自己実現なんて言い出した人たちは、とくに女性を念頭に置いて、いままで社会的に抑圧されてきた人間を解放したい、そういうところから自己実現ということを言っているんでしょう。(p244)

自己実現は、過酷な要求だ。自己を実現できない80%以上の人間は 「お前はダメなやつだ」というレッテルを貼られることになるからだ。
自己実現は知識人やエリートのバイアスのかかった、非常に過酷な要求だ。
特別な才能を持つ人間を基準において自己実現をしようとすると、誰もがピアニストにならなければならない、誰もが村上春樹にならなければならない。

一億人全員がピアニストになって、誰がコンサートに足を運ぶのか。
一億人全員が村上春樹になって、誰が本を購入するのか。(僕は村上春樹が何人いようと本は購入はしないけどね)


渡辺京二に会いにいった女子学生が聞いたこと。
それは、自己は実現しており、平凡でいい。ということ。

だから学生に向けて、皮肉にも渡辺京二は、こう伝えたのだ。

 無名に埋没しなさい。






…といっても、冒頭に書いた通り、僕4流だから、要するに平凡(平凡以下?)だから、無縁な話でしたけど。

2012/02/18

表と裏について

▽青年グレーゴル・ザムザは布地の販売員をしている。しかし、ある朝自室で目覚めると、自分が巨大な毒虫になってしまっていることに気が付く。


ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。彼は鎧のように堅い背を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が見える。(変身 カフカ / 新潮文庫)


▽あまりに有名な一節。






▽しかし、私たち日本人は自覚しているといえるだろうか、体内に潜む、無数の虫に。


日本人の身体の中には虫が住んでいるらしい。しかし、どんな虫なのか、誰も見た者はいない。正体不明なのだが、とにかく、体の一定の場所にじっとひそんでいて、何かの折に不意に動き出す。
体内の一定の場所と言ったが、そこがどこなのかもはっきりしていない。たぶん、お腹のあたりなのであろう。ふだんはそこにおとなしくしているのだが、いったん暴れだすと、もう手がつけられなくなる。そうなるとあらゆる策を使って封じ込めるか、思いきって「虫を殺す」以外にない。だが、殺してもすぐに生き返るのか、それとも、別の虫がとってかわるのか、虫はいつの間にか、ちゃんともとの所に収まっている。(29頁)


▽古来から日本人は「虫」の存在に気づいていた。
心理学者フロイトがリビドーと唱えた、無意識の層に潜むエネルギー。
それを「虫」と名付けたのだ。

▽相手の体内に潜むいけすかない「虫」の存在を察知すると、「虫」が合わない。
都合が悪くなり、己の中の「虫」が落ち着かなくなると、「虫」の居所が悪い、といった風に。


日本人の体内に棲む「虫」が、リビドーとちがうところは、その虫が鋭い直感力、本能的な勘を持っているという点である。それはまさに昆虫のごとき感覚で、その感覚により日本人はたちどころに相手の人物を見分ける。相手をチラと見ただけで、あるいは、ひと言ふた言かわしただけで、体内の虫が拒否反応を示すと、その人間は「虫が好かない」ということになる。(31頁)


▽虫の体液は忌み嫌われている。


「虫ず」というのは「虫酸」もしくは「虫唾」で、文字通り虫が吐く唾だ。(31頁)


▽虫は人格を弄ぶ。


ある場合には精神に変調をきたし、情緒が不安定になる。泣きだしたり、自信をなくしてしまったりする。だから、そういう人間を日本人は「泣き虫」といい、「弱虫」と呼ぶ。また、ひとつのことにとりつかれ、一途になり、パラノイア(偏執病)のような徴候を見せる。そこで日本人は、書物ばかりに夢中になる人間を「本の虫」、ひたすら芸に打ち込む人間を「芸の虫」などと呼ぶ。つまり、それはいずれも虫がそうさせていると考える。(32頁)


▽さらに、男女の境を行き来する。


男の中の「恋の虫」が、娘の中の「恋の虫」にとりついたというわけである。恋は分別を超えている。分別を超えたものはすべて虫のせいなのだ。(33頁)


▽イザナギノミコトは、黄泉の国で再開したイザナミノミコトの腐乱し、蛆の湧いた姿に思わず逃げ出し、現世に戻ると禊をして目を洗った。イザナギは妻の身体を這っていた虫たちを、妻の体内から湧いて出てきたものだと見誤ったのだろう。
古事記での一節は、体内に無数の虫は潜んでいるという観念を日本人の心の中に深く刻み込んだに違いない。

▽ところで、「風の谷のナウシカ」は、堤中納言物語の「虫愛づる姫君」をモチーフにしている。
ナウシカの王蟲や腐海への愛は、序盤で否定された。
作中、虫を操ることを生業にしている「虫遣い」達は軽蔑の対象である。


▽ファーブルの昆虫記は、死後に至るまで、その業績がフランスで理解されることはなかった。


▽全然関係ないけれどバイオハザード5でも、アフリカ人の人体に虫を注入されている。

▽虫という異形を、言葉から心身に刻みつけたのが、私たち日本人だ。




自分の心でありながら、自分の生命でありながら、自分の意思でどうにもならない精神や性の本能を「虫」のせいにしたのである。(35頁)


▽自分の心でありながら、どうにもならない心のことを「虫」と名付けた。

ヒンドゥー教の聖典、バガヴァッド・ギーターには、こう記されている。

心こそが自分の友であり
心こそが自分の敵である
自分の心に勝ったものにとって心は自分の友となる。
だが負けたものにとっては、心は自分の敵である。


「凝る」とは分散しているものが寄り集まってかたまることである。日本の神話によれば、日本の国残って引き揚げた時に矛先から滴った潮が凝って島になったという。だからこの島は「おのころしま」と呼ばれている。「おのころ」とは「自凝」、すなわち、おのずから凝った島という意味である。「氷」という語も、水が凝ったものというイメージから生まれた。「凝る」は「ここる」=「凝凝る」ともいう。魚の煮汁などを冷やして凝固したものを「煮ごこり」というのは、そこからきている。
水などのそのような状態の変化から、日本人は人間の心も凝ってかたまったもののように表象したらしい。人間の「たましい」は空気のようにふわふわと浮動しているのだが、それが次第に凝り固まって「こころ」が形作られると考えたのだろう。だから「思いを凝らす」という表現があるのだ。声明には緊張と弛緩とがある。熱力学の第二法則によれば、熱は必ず拡散してゆき、しまいには均質の、つまり温度差のない状態へと到達する、その逆はけっしてありえない、それをエントロピーというが、生命というのはそのようなエントロピーに逆らって、いわば熱を凝らせるエネルギーといってよい。換言すれば、生きるとは、熱力学の第二法則に反抗することである。それが生の緊張である。
だとすれば、日本語の「こころ」とは、まことに巧みに生のエネルギーを言い当てていることになろう。古代の日本人は直感的に生命の実相を見抜き、それを「こころ」という言葉で表現したといっても良い。「こころ」とは、なんと含蓄のある言葉であろうか。(82頁)


うらという大和言葉は、おもてに対する、内側を意味するが、同時に「こころ」のことでもあった。それは「うら悲しい」「うら淋しい」という形で今に残っている。「うら悲しい」とは、心悲しいの意であり、「うら淋しい」とは、心淋しいということである。また、「うらやましい」は「心が病む」こと、「恨み」とは相手の心をじっと見つめる、つまり、相手のやり口に不満を抱きながら、相手の心を伺っていること、「うらぶれる」とは、心があぶれるの意とある。(岩波版 古語辞典)
「うらなう」という語も、うら(心)に由来するのではなかろうか。つまり、隠れた神の心を推測することが占いなのである。そもそも、うらとは「見えないもの」「かくれているもの」の義であった。したがって、うらとは「内部」であり、「奥」であり、「下」であり、「反対側」を意味した。おもて=面(顔)
に対して、心は見えない。だからうらなのである。入り江を「浦」というのもこの原義からきている。外洋はいわば海のおもてだが、内海、入江、湾は外洋から見えないかくれた海である。だから「浦」というのだ。(129頁)




▽森本哲郎は哲学科出身、題材は日本語でも、その「うら」には「うら」があった。



むし、こころ、うら

隠れているもの、見えざるものに対しては、時代や国を問わず人は畏怖や不安を抱いてきた。

しかし、もともと隠れていて、見えないものなのだからこそ、自分自身の心が聴こえないことや、相手の裏が見えないことに焦って慎重を欠いてはいけないのかもしれない。
少し毛色は違ったとしても、我々の知る、あの青年のように「変身」してしまってからでは、何もかも手遅れなのだから。


日本語 表と裏 森本哲郎(新潮社)