2014/05/27

危険物取扱者乙四種試験について

・文系
・大卒
・化学の知識ゼロ

結果
法令66% ← ギリ
化学90%
消火90%

勉強は1ヶ月前からちょこちょこはじめて、試験1〜2週間前は毎日やっていました。

はじめに暗記
つぎに過去問・予想問題を繰り返し解く

これでだれでも問題なく受かると思います。

テキストは2冊使いました

わかりやすい! 乙種第4類危険物取扱者試験 (国家・資格シリーズ 102)
工藤 政孝

乙4類危険物試験精選問題集 (LICENCE BOOKS)
鈴木 幸男


暗記出来るテキストと
繰り返し解く用のテキストと
もしくは両方を兼ね備えたものが必要なのではないでしょうか。


合格率が非常に低いのは、当日に欠席する人がたくさんいるからだと思います。

一緒に受けた理系の友達(院卒)は僕の半分くらいの勉強時間でささっと受かっていました〜。

2014/03/05

ロボットレストランについて


ロボットレストランに行ってきた。

撮った写真をあとから眺めると「なんだこれ、ストリップショーに行ってきたんだっけかな」と思わず自分自身を勘ぐってしまったが(恣意的に写真を撮ったなら、いざしらずー否、正しくは恣意的に写真を撮ったから、仕方なく)、しかしロボットレストランに「行って良かった」と思えたのは健康的な若々しい女性の四肢を縦横無尽に眺めることができたことだけが理由ではなかった。そこには意味不明さがあった。そしてその意味不明さには、試行錯誤の影・努力の影、そして生命の輝きがあった。

この記事では、ロボットレストランの思い出を備忘録として残すことで、のちのちのロボットレストランについての解釈(そこにある試行錯誤・努力の影、そして生命の輝きの哲学・文学)の手がかりとして役立つことを期待したい。




入り口・会場への道・チケット


ショーは70分間だった。
5000円を払うと、待合室に案内される。


超豪華! 待合室!!

お弁当(肉と魚を選べる)とお茶がもらえる。

お弁当、うん、うーん、美味しい



お弁当の蓋を空け、舌鼓を打っていると徐ろにショーが開始する。


なおショーはいくつかの演目に分かれている。


1 和太鼓・般若によるダンス・銅鑼・龍の演舞


歌詞が深い「何事もうまく行かぬ人生の…云々」
突然和太鼓が始まって観客は目が点状態
しかし和太鼓、バッチリ合っていて衣装も相まって飽きない
その他の演目も趣向が凝らされていて、単純におもしろい(観客が戸惑う反応も含め)
銅鑼は…必要かな…(うるさかった)笑




2 休憩 ロボットによる「君を乗せて」(「風の谷のナウシカ」主題歌)キーボードによる生ピアノ演奏

ハウル(CD音源)→ナウシカ、この演奏、なかなかワビサビが効いていて聴かせる



3 ポールダンス、バニーガールによるドラム演奏


なんと目の前でポールダンスを見ることが出来る
なお、巨大な「お立ち台」は演目毎に搬出搬入が忙しい



4 休憩 ロボットによる新世紀エヴァンゲリオンの楽曲キーボードによる生ピアノ演奏

再び謎に聴かせる



5 原始時代の原住民・動物たち vs 未来世界の宇宙人のバトルショー


設定がとても細かった、原始世界に未来人が襲ってくるだけなのに
基本的には、大胆な殺陣が行われる
右はパンダが未来人にやられている様子


左はパンダが巨大な牛に乗って未来人を襲っている様子
右は巨大なサメが未来人を襲っている様子、規格外の鮫だった
牛、鮫のほかにも巨大なクモが出てきて未来人を捕食していた



6 女戦(ダンサー)たちの自己紹介

だんだん推しメンが出来始めて、ダンサーに夢中だったので写真なし



7 大型ロボットによるパフォーマンス

同上、しかしこのあたり(いや全編)は
(男性にとって)一見の価値有りなので、ぜひその目で確かめてほしい



8 記念撮影   *無機質なロボットと一緒に写真が撮れる

女の子とは撮れません




9 バイク・戦車・セグウェイ的な乗り物などを使ったパフォーマンス


だんだんとこのあたりから、ダンサーがはしゃぎまくっている僕達を意識してくれるようになって
手を振ってくれたり、ポーズしてくれたり、シャッターチャンスを作ってくれたり・・・

こっちもだんだんと際どい衣装を照れずに直視できるようになってきた!
(溢れ出んばかりの童貞根性!)



もはや、書いていて意味不明である。


しかし、僕が感動したのは、この意味不明さだ。


決した下品なエロスではない。
エロスは迂回して目指されると思いきや、いつのまにかその遥か上空を通過していく。

根本には、どことなく人生への虚無感、そして今夜も何処か誰かのために扉の開かれているバーのような雰囲気を漂わせ、民族・伝統芸能・性・原始世界・未来・自然の脅威・動物たち・平和・戦争・近代科学文明(ロボット!)・ショービズ・ダンス・先端クラブミュージック、およそ70分間では網羅し尽くせないありとあらゆる世界を飛び越えてショーは進んでいく。


「あ、終ったの?」と思わせるところまで示唆的だ。

そう、歌舞伎町は眠らない。



人生に大きな深みを与えてくれた、筆舌には尽くし難い稀有な経験であった。

2014/02/26

左足首靭帯損傷について

2月6日に怪我をしました

靭帯損傷、部分断裂、いわゆる、捻挫。

さて、ケガをして感じたのは、なんか事故後のRICE法(REST ICE COMPRESSION ELEVATION)を推奨するページは、たくさんあるにも関わらず、靭帯の怪我したあとの経過のページがないということだ。

・いつ治るんだ!
・いつ痛くなくなるんだ!
・いつから歩けるようになるんだ!

というのが僕はすごく気になった。

もちろん個人差はあるけど、おおむね2週間とか言われても安静にしているだけじゃ経過もなにもわからなくて、これから不便になるというリアリティや回復への目処が立たない。そんなままだと、いろんなことに対してモチベーションも上がらない。


ということで、今後靭帯をケガをした人のために作ることにした。

<怪我直後>

左足首が大きく腫れています


僕は左足首を折ったこともあるのですが、その時はもっと腫れていて、そしてこの時よりも泣くほど痛かった覚えがあります。

このケガをした直後は腫れて靴や靴下がキツくなるほどでした。

それでも耐えられるくらいの痛み、前回の骨折は冷や汗とかが止まらなかった(気がする)。

けれども、前回のそれは車にはねられた時期は真夏で、しかも足が折れた直後に自転車20kmくらいこいだから、もう足が再起不能なまでにグチャグチャになっちゃったやつなので、骨折・靭帯損傷の痛みや症状の比較はできない。

と、サラッと無茶な経験のことを書きましたが、実際医師でも、レントゲンを撮らない限り症状の差異は問診・触診ではわからないようですよ。



側面図
全く歩けない、車の揺れだけで足が痛む


翌日病院へ、レントゲンを撮って骨折ではないと言われる
医師が、お話されていたのは小さな骨折はケガ直後にレントゲンに映らないということがあるとのことです。
それでも、まあ、大丈夫でしょうという診断。


2週間安静ということで松葉杖で歩行、そして左足が固定される


固定されています



どうなってんだろ、と興味本位で見たところ
ケガから3日目くらいの様子。

まっさおになっていてビビる
このころは左足をつくだけで痛かった
まだまだ腫れていますね、小指を比較するとわかります。


5日経って
前よりも大げさに内出血した色をしている
痛みはかなりひいている
ただし、押す、まげるなどすると痛い

同日
なんとなく温めると気持ちいい感じがしたので足湯を決行


1週間経って
まだ青い
ようやく両足で立てる感じがしてきた
だいぶ筋肉が落ちてきている感じもした


8日目
まだまだ青い
このころ血がめぐっている感覚で固定具が痛くなってきた
ためしに勝手に固定具を外して過ごしてみる

 すると9日目
腫れがだいぶ引いた!
左足首の靭帯だけなのに、なぜ脛のところまで内出血したのだろう・・・


10日目
だいぶ歩けるようにはなってきた
腫れもかなり引いている
勝手に固定具をはずしたので足首の可動範囲が広がって痛みが増えてきた


2週間たって、内出血はほぼ消え、サポーターでの歩行開始。
サポーター3日目(17日目)くらいからあるけるようになる。

19日目
足首を上下に動かしても全く違和感がないことを確認。

20日経って、いま、サポーターありでもなしでもかなり歩けるようになっている。
何より松葉杖を使わなくてよくなったのが、楽。

自転車にも乗れる。
ただ、ブレーキかけて止まる際などは注意が必要なので、これやったらだめでしょう。

ただし左足首を左側・右側に動かそうとすると鋭い痛みがある。

長時間歩く・走る・ジャンプは不可。
階段は登りよりも下りの方がきつい。

車の運転は普段しないので、わかりません。車の運転って左足つかうっけ? 忘れた。あーあ。


いまは生活にほぼ支障はなし。(学生だからだな、春休みで、ほぼ家にいるし)

もしかしたら筋肉が固まっちゃってんのかな〜って感じがする。
でも動かしていると痛いし、治ってないのかな〜とも思う。





ここまで書いといてなんですが、やはり素人診断は危険だそうです。

上にも書きましたが、大事なことなのでもう一度、医師でも骨折なのか靭帯損傷なのかは、レントゲンを撮らない限りわからないようです。

腫れるほどケガをしたら病院へ、そして医師の診断に従ったほうがいいです。

当たり前か。



追記
2014年5月21日

3月に引っ越しまして、通っていた整形外科ではなく、新居にほど近い整形外科で左足の診断を受けました。

最近は歩行に問題はないけれど「背伸びすると痛い」「2.5kmほどランニングするほど痛い」といった感じだったのですが。

皮下細胞、靭帯、筋肉が固まっているので、どんどん痛い方向に動かしましょう。
温泉などで温めましょう
鎮痛剤を塗りましょう

など言われました。

接骨院にも通ったのですが、ダメです。ぼくには合いませんでした。
多少は楽になるんですけど、お金がかかるし、通わなければならない。
レントゲン撮って、以上がないか確認するとやはり安心します。

もし引っ越しついでに聞いてよかったセカンドオピニオン。

2013/12/29

7年後について

昨日、小さな小さな忘年同窓会。

「いつか、担任の、名前忘れたけど、担任の、ああカワニシか。カワニシ先生が言っていたけど『30歳になったときにカッコいい大人になってください』って。 え、忘れたの? 言ってたよ。でも、それって本当だなって思う。高校出てから5年経ったけど、あのときは今と比べて全然違うから。だからきっと7年後も、東京オリンピックがあって、自分も社会も変わってしまうと思う。30歳になった時に、てつくんに会う時に、引け目を感じないような大人になりたいな」

「それは確かにそう思うけど、なるべく最後の考え方はやめた方がいいと思う。なぜなら、もしその時に僕が引け目を感じていたら正直言って絶対会いたくないけど、だからといって会わないのは嫌な上に、僕に引け目を感じているくらいで会えなくなるのは嫌だから」




きっと7年後の彼も、相変わらず偉そうな僕から、もっともらしいことを言われるんだろう。
…12年前と、何も変わらずに。

2013/09/15

巨匠とマルガリータについて

「巨匠とマルガリータ」で検索すると、創価大学大学院の修士論文が出てきた。

しかし、やはりヴォランドは悪魔であることに変わりはないのである。レビ・マタイがヴォランドに、巨匠だけでなく、マルガリータも一緒に連れて行ってほしいと願うと、彼は「お前がいなかったら、私たちはそのことについて決して気付かなかっただろう。[376]」と答えている。安らぎを与えるべきだと考えた相手はピラトの小説を書いた巨匠だけであって、マルガリータのことに関しては一切お構いなしという様子が見て取れる。つまり、先ほどの友好的でロマンチストとしての発言は全て、客観的意見であって、ヴォランドは本質的には自分とは関わりのないことに対しては無関心なのだと言うことが出来るのである。
(http://daigakuin.soka.ac.jp/assets/files/pdf/major/kiyou/22_syakai3.pdfより引用)


いや、出来ない。



むしろ 「お前(レビのマタイ)がいなかったら、私たち(ヴォランドたち=悪魔たち)はそのことについて決して気付かなかっただろう。失せろ」 というヴォランドの言葉は、より(巨匠とマルガリータに対して)友好的でロマンチックな態が極まったとさえ言えるだろう。

この論文を書いた方は、引用しなかった末尾の「失せろ」 に注目すべきだった。


ところで、マタイの"懇願"は、舞踏会を終えた直後のマルガリータの態度とは対照的だ。

悪魔の舞踏会の女主人として参加させられ、今や絶望の発作の中にいるマルガリータに、悪魔は「何か言い残したことはないか?」と尋ねる。

「いいえ、何もございません、閣下」とマルガリータは誇らしげに答えた。「ただ一言、言わせて頂くなら、私がお役に立てるようでしたら、なんなりと喜んで致します、私はちっとも疲れてはいませんし、舞踏会はとても楽しいものでした。ですから、舞踏会がまだ続くようでしたら、私は喜んで、何千という絞首刑者や殺人者たちに口づけさせるために、自分の膝を差し出したいと思います」マルガリータはヴォランドを見つめたが、目に涙が溢れてきて、相手の顔がかすんで見えた 。
「その通り! まったくその通りだ!」よく響く恐ろしい声でヴォランドは叫んだ。「よくぞ言ってくれた!」
「よくぞ言ってくれた!」 木霊のようにヴォランドの従者たちが繰り返した。
「我々はあなたを試してみたのですよ」とヴォランドは続けた。「決して何も他人に頼んだりしてはいけません。・・・(中略)・・・坐りなさい、誇り高い女よ」
(「巨匠とマルガリータ」郁朋者 ミハイル・ブルガーコフ 中田恭訳)

こうしてマルガリータの望みは細大漏らすことなくすべて叶えられ、すべて首尾よく運ばれる。



ここまで、マルガリータは知的で、愛に燃える女性として描かれていた。

また若さと美貌を得た喜びで舞い上がり、憎しみから衝動的な破壊をしてみたりと、非常に、非常に人間らしく描かれていた。

それでも、悪魔たちの手によって無惨な目に合う市民たちとマルガリータは決定的に違っている。

当然、彼女にも確たる願い事がある(もちろん巨匠の救出だ)。しかしながら、悪魔たちあるいは自分自身の欲望に屈しようとはしない。


ここには人間としての誇りがある。
そして、彼女には巨匠への一途な(…屈折した…)愛がある。

悪魔たちはマルガリータを試した。さながら旧約聖書の厳格な神のようだ。そう言われればそう思えないこともないだろう、なぜなら作品中で語られる悪魔たちは、読者の目には神の似姿にすら映るのだから。



「お前がいなかったら、私たちはそのことについて決して気付かなかっただろう。失せろ。」

ヴォランドが「失せろ」と言ったのは、招かざる客が愚かだったからではない、影が光を眩しがったからでもない、安らぎに値した巨匠たちを哀れんだからでもない。



マタイは物語の終わりに、誇りを捨てて原稿を汚したのだ。

2013/07/23

ドン・キホーテについて


THE BLUE HEARTSが解散したのは1995年、その同年、結成されたTHE HIGH-LOWSの活動が休止したのは2006年。更にその同年、ザ・クロマニョンズ結成と同時に甲本ヒロトがソロデビューを果たす。
余談だが、このデビューシングルにおいて彼はギターのみならずベースやドラムスほぼ全てのパートを1人で担当している。
このCDの2曲目として収録されている「天国うまれ」は三谷幸喜監督「THE 有頂天ホテル」(2006)に提供され、作中ではミュージシャン役のSMAP香取慎吾また大物演歌歌手役の俳優西田敏行によって歌われる。

「天国うまれ」
作詞・作曲:甲本ヒロト

幻はとっとと
消えてなくなれ
夢ならこのまま
ずっと覚めるな
ドン・キホーテ サンチョ・パンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと遠く 天国生まれ

叶わない恋もある
あきらめてしまえ
叶わない夢はない
あきらめるな
ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと遠く 天国生まれ

チッタッタ 3拍子で
ブラリブラリ行こう
待たせておきな
明日なんか
ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと遠く 天国生まれ

へんな名前をつけて
呼び合ってみよう
笑えて泣ける
へんな名前
ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと遠く 天国生まれ

私見だが、この曲の中で歌われている「ドン・キホーテ」とは、いまや都内であればほぼ全域において目にすることのできる総合ディスカウントストアのことを歌っているのではなく、スペインの作家ミゲル・セルバンテス(1547-1616)によって書かれ前篇は1605年、後篇は1615年に出版された小説を指してうたっているのであろう。

ドン・キホーテという名前、そして男が風車に突撃する話は、既に多くの方がご存知のことかと思われる(註:先日、このことを存じない大学4年生[贔屓目に言っても偏差値65の私立大学に通う文系の学生]に邂逅したため「あまりにも有名〜」「こんなことは子どもさえ知っている〜」などの誇張表現は自粛した。)が、この作品によって西洋近代文学の祖と喧伝されていることは、たとい質の高い高等教育や専門教育を受けている方であっても然う然うピンと来ない話題なのかもしれない。

と、これだけの皮肉を飛ばしておきながら、「ドン・キホーテ」とセルバンテスが西洋または近代にとっていかに重要であったかを十分に論じるためだけの批評する舌ないし腕を持ち合わせないため、ここでは主に作品の概要と感想を、気の向くままに、書きたいと思う。

既知に富んだ郷士アロンソ・キハーノは、絵空事がふんだんに描かれている騎士道小説の読み過ぎによって錯乱状態に陥り、自分自身の事を騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャだと思い込んでしまう。
ドン(Don)はかなり身分の高い人にしか付けられない敬称であり、キホーテ(Quijote)にも少なからぬ軽蔑の意味が込められ、デ・ラ・マンチャ(de la Mancha)とは荒涼とした地方の名で、またマンチャ(Mancha)とは「不名誉」という意味でもある、つまり、相当変な名前なのだ。

鎧で身を包み武装したドン・キホーテは遍歴の騎士となり、愛馬ロシナンテにまたがって旅に出ようとする。ついでに近所に住む善良な農夫サンチョ・パンサを従士として伴わんとした。ちなみにサンチョ・パンサの「パンサ(Panza)」は「太鼓腹」という意味だ。

無論、この時代に遍歴の騎士が存在するはずがない。(況ヤいつの時代ヲヤ)
当時、現実のスペインでは、無敵艦隊がアルマダの海戦でイギリスに破られている、沈まなかったはずの太陽が呆気なく沈んでいった時代にドン・キホーテは旅へと出発したのだ。

さて、ロシナンテという名前も先にあげた「天国うまれ」に登場するからには着目しておかなければならない

(引用者註:ドン・キホーテは)遍歴の騎士の乗り物となる前にはどんな馬であったか、それが現在はいかなる状態にあるかをはっきり示すような名前をつけてやろうと腐心した。主人の身分が変われば馬もまたその名を変え、主人とともに遂行することになる新たな生活や新たな使命にふさわしい、どこか由緒ありげで調子の高い名前で呼ばれるのが、しごく理にかなったことのように思われたからである。かくして記憶をたどり、想像をはたらかせて、数多くの名前をこしらえたり、消したり、削ったり、付け足したり、こわしたり、またでっちあげたりしたあげく、ついにロシナンテと呼ぶことにした。彼に見る所では、崇高にして響きの高いこの名はまた、この馬が以前(アンテス)は駄馬(ロシン)であったことを示すと同時に、現在は世にありとある駄馬(ロシン)の最高位にある逸物(アンテス)であることをも表しているのであった。(「ドン・キホーテ前篇(一)」牛島信明訳 p51)

要するにロシナンテも主人や従士にふさわしい相当に変な名前なのであった。

たしかに前編においては、かの有名な風車を巨人だと勘違いする冒険や、羊の大群を戦場だと勘違いする冒険が挟み込まれているが、それは御馳走の一部であることはこの書物を1度でも手に取った読者にとってみれば火を見るよりも明らかなことだ。「ドン・キホーテ」において最も魅力的なのは、奇抜な冒険の数々よりも総勢650名も及ぶ登場人物達、何より主人と従士2名の機知に富んだ対話だ。
冒険という『幻』は、解決されるごとに掻き消えてゆく、また後篇にもなるとドン・キホーテは本物の冒険に触れるにつれ、徐々に正気を取り戻し『夢』さえもが消えてゆく、しかし数々の機知・金言・至言・正鵠を射た文学批評・時代風刺・しつこい諺などが繰り広げられる対話は、しばしの間は現実を忘却の彼方に追いやってくれる、古代ギリシャ以来の対話篇は読者にとっては終わらないいつでも何度でも繰り返され得る夢のような時間を与えてくれるのである。

物語はシデ・ハメーテ・ベネンメーリという歴史家の記述をセルバンテスが編集する形をとり、読者は重層に展開される虚構の世界を行き来しなければならない。
歴史書が失われている話が挿入され、全く本筋には関係のない作中で発見された小説が挿入され、従来ならば「本筋があってこその登場人物」であるはずが、特にサンチョ・パンサにおいては作中を自由に動き話を従来通りに進ませてくれない。これが、西洋における近代小説たる所以のひとつだとか、左様なら然もありなん。

ところでドン・キホーテは、およそ総ての騎士道小説がそうであったように、ドゥルーネシア・デル・トボーソという見目麗しい可憐な姫(という妄想であり、実際はアルドレンサ・ロレンソという百姓娘、後篇ではニンニク臭のキツい通りがかった百姓娘)に恋をしているのだが、ドゥルーネシア・デル・トボーソは名前だけで作中に現れる事はない。この『叶わない恋』のためにサンチョ・パンサは3300回も自分の身体に鞭打つことになる。このように多くは主人のために様々な受難受けながらも、『叶わない夢』のはずだった島の領主にもなってしまう無学でおしゃべりなサンチョ・パンサは、後世に現実主義者と論われ、セルバンテスと同年同日に死んだシェイクスピアの道化と比較され論われ、風刺だと分析され論われ、キリストやそのほか有象無象のメタファーだと論われ・・・・・・「ドン・キホーテは後世によって書かれた」と言われる所以は、愛読者数たちによって繰り返し親しまれ、特にオルテガはもちろんツルゲーネフやトマス・マンなど数々の批評家や文学者によって繰り返し論じられてきたからなのだろう。


変な名前のドン・キホーテ、サンチョ・パンサ、ロシナンテ、そして読者は、ふるさと遠くはなれ、幻として掻き消える冒険と叶わない恋の物語がら、叶わない夢と覚めない夢を見る。果たして、狂っているのは俺かドン・キホーテか。そしてドン・キホーテが狂気を失い、読者を何度も笑いの渦へと誘い込んだ愚かな友人サンチョ・パンサが泣き崩れるとき、機知に富んだ郷士は天国へと還り、物語は静かに幕を閉じた。待たせておきな明日(近代)なんか。

2012/12/15

チッソとは私であったについて2018/1/28編集


「チッソってどなたさんですか」と尋ねても、決して「私がチッソです」と言う人はいないし、国を訪ねて行っても「私が国です」という人はいないわけです。(40頁)

システムは 誰か を 幸せに しない。


先日は、経営哲学者のアインバールハイト先生とお会いした際に
「社会と闘争することをやめた人物を、先生はご存知ですか」
とお尋ねしたところ
「今のところ1人しか思い当たりません、その人のことは本を読んで知りました」
とお答えを頂きました。


そこで紹介された本を読んでみました。




『チッソは私であった』緒方正人(葦書房)





『チッソとは私であった』

このタイトル、一見すると「私」はチッソの関係者なのだろうか? とお思いになるのではないでしょうか。


その真逆です。






なぜ「私」はチッソなのか、そのことは次のように説明される。

それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの「人間の責任」が問われる水俣病への どんでん返しが起きた。そのとき初めて、「私もまたもう一人のチッソであった」ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から 解き放たれた瞬間でもあった。(8頁)

これだけでは「私もまたもう一人のチッソであった」と聞いても、やや分かりにくいだろう。緒方正人とは如何なる人物なのか。

  • 1953年—水俣病患者として認定される方々が発症し始めた年—に漁村の網元の末っ子として生まれた。兄弟が20人、父親との年の差は51。父親とは祖父と孫のような関係で、父親から非常にかわいがられていた。
  • 物心がついた時に目の前の海で魚の群れが死んで浮いているのを目の当たりにする、その後に猫が狂って死ぬ、小学生にあがる前に網元だった父親も狂って死ぬ。
  • 一時家出をし右翼系の活動に関わるが、地元へ帰り漁師として生活を開始。
  • 以降、水俣病患者の未認定運動に身を投じる。
  • しかし、1985年、一転して病人としての認定補償を取り下げ、生活の基本を漁民に戻す。
  • 現在でも、ご自身には手足の痺れや頭痛が残っている。

このように加害者側のチッソとは真逆の立場におかれた、言わば被害者側の人間だった。単なる被害者に留まらず、訴訟や運動の中心人物ですらあった。なぜ、そのような人物が、自ら運動から退き、補償を取り下げ、「チッソとは私であった」と言うに至ったのだろうか。

私は小さいときから親父をチッソに殺されたとずいぶん深く恨んでいました。(39頁)
いつか、自分が大きくなったら仇を討とうとずっと思ってきました。小学校の高学年になり、中学生になり、だんだん、だんだん、チッソを恨む気持ちが強くなっていくなかで、二十歳のときに水俣病の認定申請をしている患者達の運動に参加した訳です。(39頁)

子どものうちに親を殺された経験を持つ、その恨みは計り知れない。なおかつ、工場がなければ怒らなかった殺人だ。チッソの工場をダイナマイトで爆破してやろうと考えたこともあると言う。恨み、憎しみ、苦悩、様々な感情が渦巻く中、患者達の運動に参加してゆく。

ますます「チッソとは私であった」という謎が深まる。

言葉にすればたったの三文字の水俣病に、人は恐れおののき、逃げ隠れし、狂わされて引き裂かれ、底知れぬ深い人間苦を味わうことになっ た。そこには、加害者と被害者のみならず、「人間とその社会総体の本質があますところなく暴露された」と考えている。つまり「人間とは何か」という存在の 根本、その意味を問いとして突きつけてきたのである。(8頁)

人間とは何か?
ならば、チッソとは何か?

私自身、その問いに打ちのめされて85年に狂ったのである。それは、「責任主体としての人間が、チッソにも政治、行政、社会のどこにもない」ということであった。そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。(8頁)

システムとしてのチッソ、システムとしての政治、システムとしての行政、システムとしての社会には、責任主体の人間がいない。一方で病人はそうはいかない。

すでに成人していた兄や姉と違って、私は幼児期に、あまりにも異様な親父の姿を見てしまって受け止めようがなくて、チッソという会社を見たこともなく、そして金の値打ちもほとんど知らない。そこから自分の水俣病が始まっていく。ですから、私自身の「固有の水俣病」という捉え方があるように思います。これは決して私だけではなくて、それぞれの患者、被害者に「固有の水俣病」があると思います。(16頁)
一人ひとり固有の人間苦があった。水俣病事件史は確かに大きな流れとしては一つですけれども、私は「固有の水俣病」がそれぞれの人生に深く食い込んでいると感じています。 (17頁)

一人ひとり固有の"苦しみ"がある。マクロなシステムはそれを画一化し一般化し、ミクロな苦しみをマクロな苦しみの一つとして変換する。このことは、ますます「この私」を"苦しめ"る契機ともなり得るだろう。
果たして、和解とは、補償とは、個別対応とは如何なるものか、それは「一般化された個人」への対応に他ならない、とんでもない話だ。社長や会社役員は表舞台から消え、末端社員や役所の窓口が対応先になる。納得がいかないのも当然だ、そこに「人間」がいないからだ。求められていたのは必要とされていたのは、単独な「この私」への対応ではないだろうか。

そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。それは更に転じて、「私という存在の理由、絶対的根拠のなさ」を暴露したのである。立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか、というかつてない逆転の戦慄に、私は奈落の底に突き落とされるような衝撃を覚え狂った。(8頁)

なぜ立場が逆転するのか、なぜ被害者である「私」がチッソなのか、理解するのは容易ではない。そこに至る為には「立場を入れ替える」必要がある。いや、そんな生半可なことではないだろう、そこに至る為には立場を入れ替えた上で、更に「狂う」必要があった。

儲かって儲かって仕方がない時代に、自分がチッソの一労働者あるいは幹部であったとしたらと考えてみると、同じことをしなかったとは言い切れない。そうした自分を初めて突きつけられた訳です。(43頁)
今まで被害者、患者、家族というところからしか見ていないわけですね。立場を逆転して、自分が加害者側にいたらどうしただろうかと考えることは今までなかったことでした。(43頁)
 責任を追及している間は恐ろしくないんですね。攻めるだけだから。ところが、逆転を想像するだけで、立場がぐらぐらとするわけです。それまでの前提が崩れるわけですから。(44頁)
絶対同じことをしていないと言う根拠がない。そこに晒されると狂いに狂って、これはもう一人の自分をそこに見るわけですね。ですから そういう意味では十年前から、チッソというのはもう一人の自分だったと思っているわけです。(44頁)
 これまで自分がもっていたものががらがらと崩れていき、自分が分からなくなっていたようです。(47頁)

「狂う」つまり、あらゆる常識的な言説の自明性を疑い、すべて経験的に前提としてきた観念を括弧にいれ、そのような臆見を成り立たせる条件を根底から吟味することである。
これは最早、相手の気持ちを考える、客観的に物事を判断する、といった次元の話ではない。それは文字通り、自分がもっていたものががらがらと崩れていく、のだ。
チッソの責任を追及している自分とは何者なのか、疑いに疑って狂いに狂うこと、加害者、被害者という事件の立場を超えていくこと、それまでの共同体から越境すること、あらゆる常識的な言説の自明性から解き放たれること、そこで見られる「自分」は最早「自分」ではいられない。
「狂う」こと、それを坂口安吾は「堕落」と呼び、マルクスは「命がけの跳躍」と呼び、イエスは「汝の敵をも愛せ」と隣人愛を説き、ソクラテスは…、釈迦は…。


「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は私たち自身である、狂いながら身悶えしながら、可能世界に生きる自分を認め、事実と向き合い、狂った末に、遂にかく語られるのだった。

一体この自分とは何者か。どこから来てどこへゆくのか、である。それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの「人間の責任」が問われる水俣病への どんでん返しが起きた。そのとき初めて、「私もまたもう一人のチッソであった」ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から 解き放たれた瞬間でもあった。(8頁)

闘争は闘争を生み、闘争は闘争を強化する。
先日、経営哲学者アインバールハイト先生は仰った。
「原子力発電反対運動も、結局は原子力発電推進派を強めちゃうことになっちゃんですよね」

チッソの責任とは、チッソの社長の責任とは、チッソの役員の責任とは、熊本県の責任とは、それは、豊かさを望んだ、近代化を望んだ、人間の責任でもあった。

どんでん返しがおき、狂い、「私もまたもう一人のチッソであった」と自らに認めた時、
この自分とは何者なのか、という根本的かつ実践的な問いが生まれる。ゴーギャンよろしくわれわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか。

水俣病事件史の中で亡くなった人、あるいは魚、猫、鳥、傷つき倒れ殺されていったそういう命の問いかけていることは、亡くなった人の救いということだけではなくて、実は生きている私たちにかけられた願いだと思うわけです。そして水俣病事件が私に問いかけていることは、決して制度化されない魂のゆくえ、そこにどう自らが歩みにいくのかということだろうと思っています。(70頁)

「和解」「補償金」というシステムの中では、亡くなったものの魂も、生きている者の魂も、誰の魂も救済されないだろう。

今までなかなか言えなかったというか、よっぽどの人にしか言えなかったんですが、チッソの人たちをいとおしくさえ思う、罪とか責任というものを共に負いたい、あんたたちばっかり責めんばい。私も背負うという気持ちになったんです。で、「焼酎どん飲もい」、ということなんです。
そう思えるようになってからが自分では非常に楽になりました。それ以前はやっぱり、チッソといっても結局人を恨んでたんですから。人を恨み憎んでいる時はよか顔ばしとらんですね。(73頁)

恨みの境界線上に立ち、現在でも恨んでいるかもしれない、それは紙一重だった。
しかし、生きるという意味を考えた時に、「私」はチッソだった、「私」と同様にチッソもいとおしくなる、さあ焼酎でも振る舞って、一緒に責任を背負おう…。

(※しかし、川口はあらゆる飲みニケーションと呼ばれる全てが苦手なので焼酎云々の話はわからない。至極残念。ウーロン茶でよろしければ朝まで付き合います。)

私は、この現代社会を象徴する縮図として水俣病事件をその中心軸に位置づけながらも、時代の本質を一生懸命に見据えようとしてきた。そこで見たものは、今やすべての命が根付けされた商品となり、市場に組み込まれたシステム社会であった。(9頁)

全ての命が根付けされた商品、時給とはとんでもないシステムだ、つまりこれはマルクスの疎外論に基づく人間疎外 (Entfremdung)、このことを語りはじめるのであれば人間の物象化(Versachlichung)・・・・・・なんていっていると、これまた男くさ〜い哲学討議が始まりそうだ。

かといって魂がどうした・・・・・ ・なんて書きはじめると、「お、ついに宗教に走ったのか」なんて言われかねないし、このへんでやーめよ。





ただね、最後にこれだけ書いとこうかな。


ぼくは、アインバールハイト先生から緒方正人を、闘争から逃れた人物として紹介して頂いた。しかしながら、ぼくは闘争から逃れた人物として捉えることが出来なかった。
真の闘争、真の蜂起とは、このようなことを指すのではないか。
バカな、こんなもの、ただの思考停止に過ぎない。と言うのは、あさましい評価だ。
苦悩を味わい尽くした上でも尚、"システム"を「許した」 姿勢を剣呑にも見過ごしている。(「今、チッソに対してほとんど恨みをもっていません。」70頁)


ところで2011年3月11日以降、ぼく(たち)は何をしただろうか。
ぼく(たち)は蜂起も、「蜂起」もしていないのではないか。
津波で流された、或は流されなかった魂のゆくえは、システムに組み込まれていくのでは余りにも虚しすぎる。


「チッソとは私であった」
チッソ:某電力会社:私≒熊本県:某国家:私
として読みながら、その類似性に辟易しつつ、水銀で汚れた海岸を埋め立てること/発電に使い終わった放射性廃棄物を埋めようとすることの紙一重すらもない差に頭痛さえ催し、嘆息が耐えない日々が続いてゆく・・・

と、ウンザリしてばかりもいられない。



今回の選挙はどうしようか。

クリスマスを待たずして、服を着替えて「選挙にいこうぜ」と誰かをデートに誘おうか。




選挙というシステムも、やはり誰かを幸せにしないだろう。
それでも 顔のない街の中で 、見知らぬ人を見知りたいものだ。

緒方正人氏インタビュー:http://www.southwave.co.jp/swave/6_env/ogata/ogata02.htm

2012/11/13

女子学生と渡辺京二について



「本に学ぶは3流、人に学ぶは2流、自然に学ぶは1流」と何処かで聞いた覚えがある。
本を読んで、ふむふむ頷いて3歩歩いて、コロッと忘れている僕は、さしずめ4流といったところだろうか。



僕には先生がいる。
いや、正確にはあまり会ったことがないから先生であるかどうか、わからない。
どういう関係かと言うと、熱心に指示もされないし、熱心な師事もしていないという関係だ。
とにかく、先生と呼んだり、呼ばなかったり、まぁ、そんな人がいるのだが。
矢張り「人に学ぶは2流」ってのも有耶無耶になっていて、僕が4流であることに変わりはない。


ところで「どうやって本を選んでいるのか」と聞かれることがある。
僕の部屋にある本は、大抵の場合、鶴の一声で決まっている。
前述の先生が「川口くん、このへん読んでみたら」と、やんわり仰るので、やんわり読む、やんわり忘れるから「読みましたよーいやーおもしろかった/むずかしかったですー」やんわりコメントをする。


時に、先生に紹介された本を、すぐには読まないことがある。
しかし後になって思い出して、読まなかった本を求めてみると「なんでまたすぐに読まなかったんだ!」と吃驚仰天するやら茫然自失とするやら業腹煮やすやらで忙しい。
だから本については、いつ頃からか、手に取った時が絶妙のタイミングなのだ、と信じて疑わないことに決めた。





この「女子学生、渡辺京二に会いにいく」(亜紀書房)も、先生に紹介された本だ。
おそらく半年以上前のことだったと思う。



津田塾大学の学生が渡辺京二を囲んで、卒業論文についての座談会、のようなものを記録がされている。
「子育て」を卒論のテーマに選んだ女学生に、渡辺京二はこう答える。

結局〔子育ては(引用者註)〕は、今の人間が自分の生涯と言うもの、あるいは自分の一生をどのようなものとして納得していくのかという問題に関わってきますね、問題がずっと広がってきますね。(p38)
自分の持っている才能なりを発揮して、非常に個性的な一生を生きようと思っている人にとっては、子どもはだいたい邪魔になるんです。(p38-39)

夫婦は合わせ物だが、親子は合わせ物ではない。男性にも女性にも、子どもに対する潜在的な愛情や母性が存在する。しかし愛情や母性が発現するには必要な条件と環境が整えられていなくてはならない。

現代は、子育ての出来る環境が、整えられていないように、母性が発現するために必要な条件と環境も、整えられていないのだ。

いわば、現代というのはすべての人間が表現をしなくちゃ納得出来ないという時代になってきているんでね、そのむずかしさでしょうね。(p39)
私にはしたいことがある、自分の可能性をもっと発揮したい、あるいはキャリアウーマンの生涯をたどりたい、そういう自己実現の仕方について非常に思い違いがあるのではないか。そういう考えを助長するような社会の風潮がある訳でしょう。(p44)
たとえば女性も子育てをしてせっかくのキャリアを途中で辞めたくないと言う。辞めんでいいじゃないですか。でも僕は役所に入ったら、絶対出世したくはないですよ。出世したって何がいいのか。自分の部下が増えるだけのことでしょう。自分の責任が増えるだけのことでしょう。給料さえもらえばいいんで、役職がついたって、そこでの給料の差がなんぼありますか。たいした差はありゃしませんよ。責任の少ない楽なところにいて、そして自分の好きなやりたいことをやるのがいいです。ところが今は役所にいたら、上の方にどんどんキャリアを積んであがっていかなきゃいけないなどと言う。(p44)


ところで、僕は「バリバリ」と言う言葉を、女性から何度も聞かされている。


象徴的に覚えているうちの1度目は、僕が女性を取っ替え引っ替えして泣かしていた頃。
当時、1番長く付き合っていた人が目を輝かせながら言った。
「実は、将来バリバリ働きたいと思ってるんだ。カッコいいキャリアウーマンみたいな。」と。
彼女は、どちらかと言うとおっとりとしている子で、生存競争に巻き込まれると真っ先に捕食される草食動物のような子だった。(だから僕なんかに捕sh)


2度目は、僕が未だ真面目な就活生だった頃。
当時、知り合った沢山の女の子が言っていた。
「私はバリバリ働きたいと思ってます」と。
彼女達の多くは、大企業志向・海外志向が強く、とにかく大きな仕事がしたいと言っていた。まるでスイッチが入って感情的になったときの自分の父親と話をしているようでクラッとしつつも、「どうして?」と聞く。
すると彼女達は「女だからってナメられたくない」「出来るってことを認められたい」「チャンスがある時代だから」と十人十色ならぬ、十人とも大体同じ色をしていた。
彼女達が、オフィシャルな場で「バリバリ」と言っていないことを願う。


3度目は、僕が労働に明け暮れていた今年の夏。
「いまはバリバリ働けていて、とっても充実してるけど、時々不安になる」と。
彼女は学生時代から、やりたいことがハッキリしていたそうだ。


彼女達は、なぜ「バリバリ」に憧れ、求め、果てには焦慮するのだろうか。
バリバリ働く(きたい)って一体なんなのだろう。



渡辺京二は、自己実現という欺瞞を見抜く。
自己実現という言葉について、僕が非常に不信感を持つのは最初から自己と言うのは実現されているんだよ、ということもありますが、もう一つは、自己実現というのは、なんのことはない、出世しなさい、と言っているからですね。(p237)
たとえば国際舞台に出て行く人間になりなさい、 とかいうことなんです。アタッシュケースを持って飛行機から飛行機に乗り継いで、スケジュール表にはびっしりと仕事が詰まっているというのが、これが人間としての生き甲斐だというわけなんです。(p237)

「自己実現にしなきゃ」と焦る必要はない。
なぜなら、自己は、既に実現されているからだ。

顔一つとってみても、似た人間はいるけど、まったく同じようなクローン人間はいやしない。性質もそう。似たような性質の人間はいる。だけど、全く同じと言う人はいない。全部違う。だいたい人類誕生以来どれだけの人間が生まれてきたと思う? まったく同じ人間が1人もいなかったと言うのは、これはすごい事実ですね。それが個性ですね。個というもの、自分というものですね。(p234)  
 実は人間はオギャアと生まれたときに門出に立っている訳ね。(p218)

岡本太郎も瀬戸内寂聴も、人間は生まれたときから孤独だ、と言っていたような。
とにかく、生まれたときから、孤独な上に、自己は実現しているらしい。

ところで「バリバリ働きたい」と言う人は、口を揃えて「人のために役に立ちたい」と言う。
これは学校の先生たちが「社会の役に立ちなさい」と教えるからだ。

社会のために役に立ちなさいなんて、いらんことです。社会のためになんか役立たんでよろしゅうございます。だいたいこの人間の歴史に、いろんな災いをもたらしたやつは、社会に役立ってやろうと思ったやつが引き起こしてきた訳でございます(p228)

就職難で就職が決まらない青年は「自分は社会から必要とされていない人間だ」と悲観する。これは自死を予感させる発言である。
しかしながら、就職できないのは経済の問題であり、社会から必要とされないこととは別箇の問題である。
何よりも、必要とされていない、そのことをどうして自分で決められるというのか。

そもそも自己実現なんて言い出した人たちは、とくに女性を念頭に置いて、いままで社会的に抑圧されてきた人間を解放したい、そういうところから自己実現ということを言っているんでしょう。(p244)

自己実現は、過酷な要求だ。自己を実現できない80%以上の人間は 「お前はダメなやつだ」というレッテルを貼られることになるからだ。
自己実現は知識人やエリートのバイアスのかかった、非常に過酷な要求だ。
特別な才能を持つ人間を基準において自己実現をしようとすると、誰もがピアニストにならなければならない、誰もが村上春樹にならなければならない。

一億人全員がピアニストになって、誰がコンサートに足を運ぶのか。
一億人全員が村上春樹になって、誰が本を購入するのか。(僕は村上春樹が何人いようと本は購入はしないけどね)


渡辺京二に会いにいった女子学生が聞いたこと。
それは、自己は実現しており、平凡でいい。ということ。

だから学生に向けて、皮肉にも渡辺京二は、こう伝えたのだ。

 無名に埋没しなさい。






…といっても、冒頭に書いた通り、僕4流だから、要するに平凡(平凡以下?)だから、無縁な話でしたけど。

2012/02/18

表と裏について

▽青年グレーゴル・ザムザは布地の販売員をしている。しかし、ある朝自室で目覚めると、自分が巨大な毒虫になってしまっていることに気が付く。


ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。彼は鎧のように堅い背を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が見える。(変身 カフカ / 新潮文庫)


▽あまりに有名な一節。






▽しかし、私たち日本人は自覚しているといえるだろうか、体内に潜む、無数の虫に。


日本人の身体の中には虫が住んでいるらしい。しかし、どんな虫なのか、誰も見た者はいない。正体不明なのだが、とにかく、体の一定の場所にじっとひそんでいて、何かの折に不意に動き出す。
体内の一定の場所と言ったが、そこがどこなのかもはっきりしていない。たぶん、お腹のあたりなのであろう。ふだんはそこにおとなしくしているのだが、いったん暴れだすと、もう手がつけられなくなる。そうなるとあらゆる策を使って封じ込めるか、思いきって「虫を殺す」以外にない。だが、殺してもすぐに生き返るのか、それとも、別の虫がとってかわるのか、虫はいつの間にか、ちゃんともとの所に収まっている。(29頁)


▽古来から日本人は「虫」の存在に気づいていた。
心理学者フロイトがリビドーと唱えた、無意識の層に潜むエネルギー。
それを「虫」と名付けたのだ。

▽相手の体内に潜むいけすかない「虫」の存在を察知すると、「虫」が合わない。
都合が悪くなり、己の中の「虫」が落ち着かなくなると、「虫」の居所が悪い、といった風に。


日本人の体内に棲む「虫」が、リビドーとちがうところは、その虫が鋭い直感力、本能的な勘を持っているという点である。それはまさに昆虫のごとき感覚で、その感覚により日本人はたちどころに相手の人物を見分ける。相手をチラと見ただけで、あるいは、ひと言ふた言かわしただけで、体内の虫が拒否反応を示すと、その人間は「虫が好かない」ということになる。(31頁)


▽虫の体液は忌み嫌われている。


「虫ず」というのは「虫酸」もしくは「虫唾」で、文字通り虫が吐く唾だ。(31頁)


▽虫は人格を弄ぶ。


ある場合には精神に変調をきたし、情緒が不安定になる。泣きだしたり、自信をなくしてしまったりする。だから、そういう人間を日本人は「泣き虫」といい、「弱虫」と呼ぶ。また、ひとつのことにとりつかれ、一途になり、パラノイア(偏執病)のような徴候を見せる。そこで日本人は、書物ばかりに夢中になる人間を「本の虫」、ひたすら芸に打ち込む人間を「芸の虫」などと呼ぶ。つまり、それはいずれも虫がそうさせていると考える。(32頁)


▽さらに、男女の境を行き来する。


男の中の「恋の虫」が、娘の中の「恋の虫」にとりついたというわけである。恋は分別を超えている。分別を超えたものはすべて虫のせいなのだ。(33頁)


▽イザナギノミコトは、黄泉の国で再開したイザナミノミコトの腐乱し、蛆の湧いた姿に思わず逃げ出し、現世に戻ると禊をして目を洗った。イザナギは妻の身体を這っていた虫たちを、妻の体内から湧いて出てきたものだと見誤ったのだろう。
古事記での一節は、体内に無数の虫は潜んでいるという観念を日本人の心の中に深く刻み込んだに違いない。

▽ところで、「風の谷のナウシカ」は、堤中納言物語の「虫愛づる姫君」をモチーフにしている。
ナウシカの王蟲や腐海への愛は、序盤で否定された。
作中、虫を操ることを生業にしている「虫遣い」達は軽蔑の対象である。


▽ファーブルの昆虫記は、死後に至るまで、その業績がフランスで理解されることはなかった。


▽全然関係ないけれどバイオハザード5でも、アフリカ人の人体に虫を注入されている。

▽虫という異形を、言葉から心身に刻みつけたのが、私たち日本人だ。




自分の心でありながら、自分の生命でありながら、自分の意思でどうにもならない精神や性の本能を「虫」のせいにしたのである。(35頁)


▽自分の心でありながら、どうにもならない心のことを「虫」と名付けた。

ヒンドゥー教の聖典、バガヴァッド・ギーターには、こう記されている。

心こそが自分の友であり
心こそが自分の敵である
自分の心に勝ったものにとって心は自分の友となる。
だが負けたものにとっては、心は自分の敵である。


「凝る」とは分散しているものが寄り集まってかたまることである。日本の神話によれば、日本の国残って引き揚げた時に矛先から滴った潮が凝って島になったという。だからこの島は「おのころしま」と呼ばれている。「おのころ」とは「自凝」、すなわち、おのずから凝った島という意味である。「氷」という語も、水が凝ったものというイメージから生まれた。「凝る」は「ここる」=「凝凝る」ともいう。魚の煮汁などを冷やして凝固したものを「煮ごこり」というのは、そこからきている。
水などのそのような状態の変化から、日本人は人間の心も凝ってかたまったもののように表象したらしい。人間の「たましい」は空気のようにふわふわと浮動しているのだが、それが次第に凝り固まって「こころ」が形作られると考えたのだろう。だから「思いを凝らす」という表現があるのだ。声明には緊張と弛緩とがある。熱力学の第二法則によれば、熱は必ず拡散してゆき、しまいには均質の、つまり温度差のない状態へと到達する、その逆はけっしてありえない、それをエントロピーというが、生命というのはそのようなエントロピーに逆らって、いわば熱を凝らせるエネルギーといってよい。換言すれば、生きるとは、熱力学の第二法則に反抗することである。それが生の緊張である。
だとすれば、日本語の「こころ」とは、まことに巧みに生のエネルギーを言い当てていることになろう。古代の日本人は直感的に生命の実相を見抜き、それを「こころ」という言葉で表現したといっても良い。「こころ」とは、なんと含蓄のある言葉であろうか。(82頁)


うらという大和言葉は、おもてに対する、内側を意味するが、同時に「こころ」のことでもあった。それは「うら悲しい」「うら淋しい」という形で今に残っている。「うら悲しい」とは、心悲しいの意であり、「うら淋しい」とは、心淋しいということである。また、「うらやましい」は「心が病む」こと、「恨み」とは相手の心をじっと見つめる、つまり、相手のやり口に不満を抱きながら、相手の心を伺っていること、「うらぶれる」とは、心があぶれるの意とある。(岩波版 古語辞典)
「うらなう」という語も、うら(心)に由来するのではなかろうか。つまり、隠れた神の心を推測することが占いなのである。そもそも、うらとは「見えないもの」「かくれているもの」の義であった。したがって、うらとは「内部」であり、「奥」であり、「下」であり、「反対側」を意味した。おもて=面(顔)
に対して、心は見えない。だからうらなのである。入り江を「浦」というのもこの原義からきている。外洋はいわば海のおもてだが、内海、入江、湾は外洋から見えないかくれた海である。だから「浦」というのだ。(129頁)




▽森本哲郎は哲学科出身、題材は日本語でも、その「うら」には「うら」があった。



むし、こころ、うら

隠れているもの、見えざるものに対しては、時代や国を問わず人は畏怖や不安を抱いてきた。

しかし、もともと隠れていて、見えないものなのだからこそ、自分自身の心が聴こえないことや、相手の裏が見えないことに焦って慎重を欠いてはいけないのかもしれない。
少し毛色は違ったとしても、我々の知る、あの青年のように「変身」してしまってからでは、何もかも手遅れなのだから。


日本語 表と裏 森本哲郎(新潮社)